當麻寺(たいまでら、当麻寺)とは?

當麻寺(たいまでら、常用漢字体:当麻寺)は、奈良県葛城市にある7世紀創建の寺院。法号は「禅林寺」。山号は「二上山」。創建時の本尊は弥勒仏(金堂)であるが、現在信仰の中心となっているのは当麻曼荼羅(本堂)である。宗派は高野山真言宗と浄土宗の並立となっている。開基(創立者)は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされるが、草創については不明な点が多い。
當麻寺自体の本坊はなく、境内には高野山真言宗5院、浄土宗8院の子院(下記)がある。當麻寺本堂(曼荼羅堂)は真言宗と浄土宗の兼帯で、金堂、講堂、塔などは真言宗が管理している。
西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる古寺である。毎年5月14日に行われる練供養会式(ねりくようえしき)には多くの見物人が集まるが、この行事も当麻曼荼羅と中将姫にかかわるものである。奈良時代 - 平安時代初期建立の2基の三重塔(東塔・西塔)があり、近世以前建立の東西両塔が残る日本唯一の寺としても知られる。
大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられる。

本堂(曼荼羅堂)国宝

国宝である曼荼羅堂(まんだらどう)は平安時代後期の永暦2年(1161年)に完成し、内陣(ないじん)は当時の様式をそのまま残している。
ご本尊には當麻曼荼羅が巨大な厨子(国宝)の中にあり、源頼朝寄進の須弥壇(国宝)上にある。他に十一面観音立像、来迎阿弥陀如来立像、弘法大師三尊張壁、役行者三尊坐像、中将姫坐像などがあり、拝観することもできる。
※拝観時間(本堂内部)9:00~17:00
※拝観料500円(5/13~15の特別公開期間は600円)

中将姫とは?

STORY

中将姫

藤原豊成(ふじわらのとよなり)の娘である中将姫

中将姫は、奈良の当麻寺に伝わる『当麻曼荼羅』を織ったとされる日本の伝説上の人物である。伝説によると、当麻曼荼羅は奈良時代の右大臣である藤原豊成(ふじわらのとよなり)の娘である中将姫が、當麻寺へ出家し、蓮糸を用いて浄土曼荼羅図を一晩で織ったものであると言われている。勿論、これは伝説の話であり、実際は蓮の繊維ではなく絹糸の綴織(つづれおり)で、唐からの伝来品であると考えられている。曼荼羅と言うが密教の曼荼羅とは関係は無く、浄土三部経の一つである観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)の教えに基いた浄土変相図である。当時オリジナルの当麻曼荼羅(国宝)は痛みが非常に激しく、現在曼荼羅堂に掲げられているものは室町時代の複製品(重要文化財)である。

當麻(当麻)曼荼羅

當麻寺に伝来する綴織の阿弥陀変相図

 八世紀、中国・唐時代の作と考えられる名品である。浄土信仰の高まりにともない、藤原豊成の娘である中将姫が蓮の糸を用いて織り上げたという伝説を生み、鎌倉時代以降、当麻寺の原本を転写した図が盛んに製作されるようになるが、それらも同様に当麻寺と通称される。本品も鎌倉時代における典型的な転写本である。当麻曼荼羅の図様は、中国浄土教を大成した唐時代の僧、善導の『観無量寿経疏』に基づいている。内陣は阿弥陀の極楽浄土の景観を表したものであり、阿弥陀三尊とこれを取り巻く多くの仏菩薩からなる華座段を中心にして、上辺には楽器や仏菩薩が飛来する虚空ときらびやかな楼閣を、下辺には宝池、宝地、宝樹のほか、諸菩薩たちが楽器や舞を演じる舞楽会などを配置している。外縁には、向かって左に『観無量寿経』の序にあたる部分、すなわち阿闍世(あじゃせ)太子による父王の幽閉とそれを悲しんだ母后韋提希(いだいけ)夫人の阿弥陀仏への帰依を十一区画に描き、右に極楽浄土を観想するための十六の手段(十六観)のうち十三観、下辺に残りの三観を開いて九品来迎図九図として描いている。中世において男女を問わず多くの日本人が憧れた浄土の景観は、この当麻曼荼羅の図様が長くイメージの源泉となってきたといっても過言ではない。(奈良国立博物館)

金堂・講堂

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金堂(こんどう):本堂の東前方、講堂の南に南面して位置する。5間4間、入母屋造、本瓦葺で乱石積の基壇上に立つ仏堂である。曼荼羅堂が本堂とされるまでは金堂が一山の本堂であった。正背面3間、両側面2間を板扉として、残りは全部壁構造となっている点が珍しいとされる。昭和8年(1933)から10年にかけての解体修理で、当初は瓦葺ではなく、流板葺という長い厚板を並べ合せた板葺屋根であったことが判明した。
建立年代は治承4年(1180)兵火後の寿永3年(1184)再建説と、13世紀後半再建説がある。

講堂(こうどう):本堂曼荼羅堂の正面、金堂の北側に、金堂と同じく高い乱石積の基壇上に南面して建つ、正面7間、奥行4間、寄棟造、本瓦葺の建物である。
治承4年(1180)の兵火によって焼亡し、現在の建物は野垂木下端(のたるきしたば)の墨書により、鎌倉時代末期の乾元2年(1303)4月22日に大工・藤原助友によって建立された。
正背面に石階を設け、正面中央5間、背面中央1間、側面前方1間の板扉の開きとし、その他は全て白壁造としている。昭和10~11年(1935~36)の解体修理によって、前身堂も現在よりやや大きめの七間堂で、金堂と同じく流板葺であったことがわかっている。旧規を踏襲した鎌倉時代の和様建築である。

寺院概要

所在地:〒639-0276 奈良県葛城市當麻1263
山号:二上山
宗派:高野山真言宗、浄土宗
本尊:当麻曼荼羅
創建年:推古天皇20年(612年)

文化財:東塔、西塔、曼荼羅堂、塑造弥勒仏坐像ほか(国宝)
金堂、乾漆四天王立像、木造阿弥陀如来坐像ほか(重要文化財)
中之坊庭園(名勝・史跡)

當麻寺練供養 (聖衆来迎練供養会式)

年中行事

「當麻寺お練り」「當麻れんど」「迎講」と呼ばれるもので、寛弘2年(1005)叡山横川の恵心僧都が、「當麻曼荼羅を帰依し、中将姫の昔を慕って聖衆来迎の有様を見んがために、二十五菩薩の装束と仏面を作って、寄進したのにはじまる。」と伝えられる。以前は、中将姫が生身往生した旧暦3月14日に行われていたが、現在は、5月14日午後4時より行われる。曼荼羅堂を西方極楽に擬し、その東方にある娑婆堂を人間界とし、その間、約100mの長い来迎の橋を渡す。まず中将姫の輿を極楽から現世の娑婆堂に移し、次に極楽浄土から二十五菩薩の聖衆の面や衣装を着けた人達が、人間界へ来迎し、そして、中将姫は観音菩薩の捧仕する蓮台に迎えられ、再び極楽浄土へと帰って行く儀式で、来迎引接の有様を再現する。

境内マップ

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